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竹島一件(竹嶋一件、たけしまいっけん)とは1692年(元禄5年)から1696年(元禄9年)1月まで日本と朝鮮との間で争われた鬱陵島の領有問題。江戸幕府の許可を得て鬱陵島に出漁した米子の大谷・村川家が同島で朝鮮人と遭遇したことから問題になり、長期間交渉の末、幕府が日本人の鬱陵島への渡航を禁止する事により決着した。当時の日本では、現在の鬱陵島は”竹島”、竹島 (島根県) 現在の竹島は松島と呼ばれていた。:(これ以下、当時の日本の名称に従い現在の鬱陵島を”竹島”、現在の竹島を松島と記述する) 鳥取県の大谷家に伝わる「竹嶋渡海由来記 抜書控」によると、1618年(元和4年)伯耆国米子藩 米子(現・鳥取県米子市)の商人、大谷、村川両家が幕府より”竹島”を拝領して渡海免許を受けており、大谷甚吉・村川市兵衛らは毎年交代で同島に赴いて、鮑・アシカ等の漁猟、木竹の伐採などを行い、鮑を幕府に献上していた。松島は”竹島”への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から松島も拝領し、鳥取藩も毎年の渡海にあたっては、米や鉄砲の貸付をしていた。この事件の発端は、1692年(元禄5年)に”竹島”へ出漁した大谷、村川家が同島で朝鮮人と遭遇したことから始る。この時、”竹島”に朝鮮人が53人が来ていたが、日本側は21人の少数であったので争うことはしないで、早々に朝鮮人が作っていた串鮑のほか、笠、網頭巾、麹味噌を持ち帰って鳥取藩に報告した。この処理をめぐって鳥取藩から対処方法を問われた幕府は、すでに朝鮮人が”竹島”から退去したとすれば「何の構えも無之」と回答をして、特に問題にしなかった。


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